Messenger: 近藤修司
Passage: 黙示録20:1-6
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すでに私たちは、主イエス・キリストの地上再臨にまつわる出来事を学んで来ました。続けて、主がこの地上に帰って来られた後にいったい何が起こるのか?そのことを今日もごいっしょに見ていきたいと思います。
☆地上再臨にまつわる出来事
A.捕えられたサタン 1-3節
イエスがこの地上に聖徒たち、クリスチャンたちを伴って帰って来られる時に、まず、サタンが捕えらるということを見ました。人々を惑わし続けて来たサタンがこの千年の間捕われて、そのような働きを自由にすることができなくなることを見て来ました。
B.第一に復活に与る者たち 4−6節
みことばは、第一の復活に与る者たち、大変な祝福に与っている人たちのことを教えてくれました。
1. キリストとともにさばきを行う人たち
旧約や、また新約や患難時代の聖徒たち、救いに与っている者たち、そして、12使徒がそれに当たる人たちであると見ました。
2.キリストとともにさばきを行う
この人たちはキリストともにさばきを行います。そのさばきの対象は、肉体をもってこの千年王国に入って来た人たちです。千年王国において肉体を持っている人たち、その人たちに対するさばきであるということも見て来ました。
3.第一の復活
この復活に与る者たちは祝された者である。なぜなら、彼らには永遠の祝福が与えられたからです。主は罪の赦しを彼らに与えられただけではありません。主とともに千年王国に入り、そして、永遠をイエスとともに過ごすことが約束されています。まさに、永遠の祝福に彼らは与った。だから、第一の復活に与る者たちは幸いであると言うのです。第二の復活については今日見ることはできませんが、そのこともみことばが教えるわけで、彼らは祝福に与るどころか、永遠ののろいのもとを歩み続けるということを教えています。そのことはまたそのときにみことばを見ていきましょう。
さて、この千年王国にはすばらしい約束が記されています。祝福の約束です。しかし、それでいながら、新約聖書の中にも、黙示録をこうして見ても、千年王国の祝福についてはこの20章の初めに少しだけしか記されていません。余りにも、記載が少な過ぎます。こんなにすばらしい祝福が与えられる千年王国の時間、なぜ、そのことについて新約聖書は触れていないのか?恐らく、皆さんもそのような疑問を抱かれると思うのです。実は、聖書はそのことについて教えていないのではなくて、聖書はそのことについて教えているのです。新約聖書には非常に少ないのですが、実は、旧約聖書の中にたくさん記されているのです。今から私たちが見ていくのは、千年王国という、私たちクリスチャンに約束されているすばらしい祝福です。千年王国がどんなにすばらしいのか、今から9つのことを見ていきます。今日は、多くの旧約聖書の箇所を見ますから、みことばを見ながら神のメッセージを聞いていただきたいと思います。
◎千年王国の祝福
1.主イエスによる統治(聖徒たちも)
1.主イエスによる統治(聖徒たちも)
祝福の一つ目は、この千年間は主イエス・キリストによって統治される時代だということです。当然のことですが、イエス・キリストが千年王国を治められる、聖徒たちもいっしょになって治めるのです。詩篇2:6-9に「:6しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。:7 「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。:9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」」と書かれています。エルサレムに王が立てられるということです。これは過去のことではなくこれからのことです。千年王国になる時のことです。そのときに、この王が立てられ、この王によってすべてのことが治められると、そのことを預言しているのです。
主イエス・キリストがこの地上にお見えになった時、イエスはご自分が王であるということを人々に隠しておられたのでしょうか?ご自分がいったいどんな存在であるかを人々の前で隠しておられたのでしょうか?違います。主イエス・キリストはご自分がだれであるかを明らかにされました。ご自分が神であることも、救世主であることも、王であることも明らかにされた。ですから、最後の審判のところを思い出してください。
イエスがピラトの前に立った時、ピラトがこんなことを言っています。「:12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。」と、ピラトはこのようなことをユダヤ人たちに問いかけています。そのときユダヤ人たちは「:13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。」と書かれています(マルコ15:12-13)。つまり、イエスは救い主としてこの世にお見えになった、イエス・キリストは王としてお見えになった。なぜなら、この方は人々が認めようと認めまいと永遠に王だからです。でも、この方が最初にお見えになった時、この「初臨」の時は、この世は彼を王として認めませんでした。彼を退けました。しかし、この「王の王、主の主」(黙示録19:16)である方、この方が地上に帰って来られる時には、ご自分が王であることを明らかにされるだけでない、だれもこの王に逆らうことができなくなります。
というのは、先ほど見た詩篇の2:9には「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。」とあり、つまり、帰って来られる王イエス・キリストは、初臨とは違い、この時は彼に逆らう者たちにさばきを与えるということです。この方に逆らうすべての者たちに対してさばきが下るということを教えています。しかし、まず、この千年王国のすばらしいところは、私たちの愛する主がこの千年の間、主権者としてすべてを治められることです。これが一つ目の祝福です。
2.イスラエルの救い
この千年王国の時代が来ると、その前にイスラエルが救われます。これが二つ目の祝福です。今、私たちが知っていることは、この教会の時代はイスラエルの心は神に対して大変頑なだということです。だからと言って、ユダヤ人たちが今救いに与っていないかと言うと、救いに与っています。私たちがイスラエルに行った時にも、敢えて、ユダヤ人でイエス・キリストを信じた人、メシヤニックジューと言いますが、その人たちを呼んで来て、どのようにして彼らが救いに至ったのかというその証を聞いたことがあります。ですから、神の働きは継続しています。ただ、みことばが教えているのは、今のこの異邦人の時代、この教会の時代は彼らの心は頑なにされているということです。でも、いつまでもこういう時代が続くのではありません。このイスラエルが救いに与る時がやって来るのです。
エレミヤ書30:5-9にはこのように記されています。「:5 まことに【主】はこう仰せられる。「おののきの声を、われわれは聞いた。恐怖があって平安はない。:6 男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。わたしが見るのに、なぜ、男がみな、産婦のように腰に手を当てているのか。なぜ、みなの顔が青く変わっているのか。:7 ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難の時だ。…」と。さて、この箇所は私たちに何のことを教えているのでしょう?ヒントは「ヤコブにも苦難の時」ということばです。つまり、イスラエルにとって今まで経験したこともないような、前代未聞の困難が訪れるということです。いったい、いつのことなのか?今の私たちには、それがいつの時代を指しているのかが分かります。つまり、患難時代のことです。「…しかし彼はそれから救われる。:8 その日になると、──万軍の【主】の御告げ──わたしは彼らの首のくびきを砕き、彼らのなわめを解く。他国人は二度と彼らを奴隷にしない。:9 彼らは彼らの神、【主】と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう。」と、彼らは今まで経験したことのない苦しみを経験するが、そこから救い出され、彼らはダビデ王に仕えるようになると言っています。
この箇所が教えていることは、患難時代にイスラエルは大変な苦しみを経験するが、確かに、神は彼らをそこから救い出される。そして、彼らはダビデ王に仕えるようになるということです。この「ダビデ王」とは、ダビデ王の子孫である約束の救世主に仕えるということです。イエスに仕えるということです。主イエス・キリストが帰って来られるとき、イエスは王として帰って来られ、人々は彼に仕えるのです。そのことをエレミヤは預言したのです。
千年王国を迎える時にイスラエルは救われます。そのことに関して、パウロはローマ11:26でこのように言っています。「こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。」と。これはイスラエルのすべての人々が救われるということではありません。神によって選ばれていたイスラエル人が救われるということです。どの時代でもその民族でも、私たちの罪が赦されてこの救いに与るのは、主イエス・キリストのその救いを、神が備えてくださったその救いを受け入れることが必要です。「この方以外には、だれもよっても救いはありません。」(使徒4:12)と教えるように、神が人類に備えられた救い主はただ一人です。その方を信じる信仰によって救われるのです。ですから、このイスラエルの人々に関しても同じことです。彼らもこのイエスが真のメサイヤ=救世主であること、そのことを信じて救われるのです。神の選びに与っていたイスラエルがこの救いに与るのだと、それが起こるということを聖書は私たちに教えてくれています。
3.アブラハムへの約束の成就
そして、続けて三つ目です。千年王国が訪れるときに、神がアブラハムに与えられた約束が成就します。創世記の中に「信仰の父」と呼ばれる人物、アブラハムが出て来ます。創世記12章に、神がアブラハムと契約を結ばれることが記されています。その当時、彼はまだアブラムと呼ばれていました。このアブラム、彼は妻のサライとおいのロトと、そして、彼が得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴って西に向かいました。そして、カナンの地にたどり着くのです。現在のイスラエルです。そこで主はアブラムにこう言うのです。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与えます。このカナンの地はわたしがあなたにあなたの子孫に与える地である。」と、このような約束が創世記12章5-7に書かれています。「:5 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。:6 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。」と。
こうして、神がアブラハムに約束を与えたのです。このカナンの地をあなたの子孫に与えると。実は、このことが繰り返されています。創世記13章でも、ロトがアブラムと別れた後、主はアブラムに言うのです。13:14-15「:14 …「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。」と。だから、あのカナンの地をユダヤ人たちは自分たちの土地だと主張し続けるのです。神の約束があるからです。神がそのように約束されたからこれは私たちの土地だと。また、創世記15:18にも「その日、【主】はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。」とあります。ですから、このカナンの地というのを神はアブラムの子孫に与えるということを約束なさったのです。
エゼキエル書39:27-28「:27 わたしが彼らを国々の民の間から帰らせ、彼らの敵の地から集め、多くの国々が見ている前で、彼らのうちにわたしの聖なることを示すとき、:28 彼らは、わたしが彼らの神、【主】であることを知ろう。わたしは彼らを国々に引いて行ったが、また彼らを彼らの地に集め、そこにひとりも残しておかないようにするからだ。」、紀元70年以降、イスラエルは世界に離散しました。国を持つことのない国民として。1948年までイスラエルには国がなかったのです。でも、神が彼らを集められたのです。そして、イスラエルが国家として誕生しました。今も神はイスラエルを集めておられます。そのように神が約束されてそのように神は事を行っておられるのです。
そこで、千年王国の時代に、神は約束されたようにこのカナンの地をアブラハムの子孫にお与えになります。皆さん、想像力を働かせください。イスラエルの地図を見て、そこに旧約時代のイスラエルの12部族の土地が記されています。これは千年王国のことです。イスラエルの地図を頭に描いてエルサレムを中心に考えましょう。エルサレムの北に6つの部族に与えられた相続した土地があります。エルサレムの南には5つの部族に与えられた相続地が出て来ます。これらはすべてエゼキエル書48章に記されています。北から順に、最初にダン、アシュル、ナフタリ、マナセ、エフライム、このエフライムはガリラヤ湖の西側に当たります。そして、ルベン、ルベンはあのサマリヤの地方です。そこを彼らが相続するのです。千年王国のことです、皆さん。
そして、エルサレムの辺り、ここはユダ族が相続します。そのことはエゼキエル書48:8-22に書かれています。今度はエルサレムの南の5つの部族です。北から順に、ベニヤミン、シメオン、イッサカル、これら三つの部族が相続するのは死海から西側です。その後、ゼブルン、ガトが続きます。これはエゼキエル48:23-29に書かれています。このように千年王国になると、イスラエルにだけこのような土地が与えられます。なぜなら、その約束がアブラハムに与えられたからです。千年王国になっても同じようにその約束が続くわけで、その約束通りに、この12のイスラエルの部族がその土地を相続するのです。
4.異邦人による崇拝
千年王国では、異邦人たちが王なる神を崇拝します。ミカ書4章に「終わりの日」と記されている箇所があります。4:1-2「:1 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。:2 多くの異邦の民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。」、ユダヤ人でない異邦人の民がエルサレムに集まって来て、そして、主を崇拝する様子です。また、ゼカリヤ書14:16にも「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」と書かれています。
つまり、肉体を持ったまま、生きたままで千年王国に入った者たちのことです。このことはもう何度も見て来ました。あなたはその中にはいません。あなたはもう栄光のからだをいただいています。旧約の聖徒たちも同じです。患難時代に殉教した多くの信仰者たちも同じです。栄光のからだをいただいて千年王国に入って行く私たちと、患難時代を生き延びて肉体を持ったまま千年王国に入っていく者たちがいるわけです。今話しているのは、肉体を持ったままこの千年王国に入って行く者たちのことです。「生き残った者たちは」、肉体を持ったまま千年王国に入って行くクリスチャンたちのことです。彼らは何をするのか?「毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、」とあります。彼らは毎年エルサレムに来て王を礼拝すると言うのです。このようなことが千年王国にあって起こるのだと教えています。
イエスがすべてを治められる。イスラエルの選ばれた者たちが救いに与る。そして、アブラハムに約束されたその約束が成就する。そして、異邦人が集まって来て、彼らがこの王である方を崇拝すると。
5.義と平和と喜びの時
千年王国はそういうすばらしいときです。なぜなら、まず覚えるべきことは、この時代はサタンが全く働けない時代だからです。サタンは完全に捕えられて、彼は人を惑わすことができないのです。ですから、大変平和なのです。しかも、この千年王国を治める方は「平和の君」と呼ばれるお方です。皆さん、思い出されませんか?イザヤ書9:6に「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」とあります。「平和の君」、「プリンス オブ ピース」です。このようなお方が治められるところに平和が存在するのは当然明らかです。
また、イザヤ書11:4に「正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。」とあり、主イエス・キリストは義なるお方であって、この方が為さることはすべてにおいて正しいのです。この方が為さるさばきはすべてにおいて完全です。ですから、平和の君が平和をもたらすだけでない、この義なる方が治めておられる間、そこには常に正義が存在するのです。
そして、もう一箇所、イザヤ書12:3に「:3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」と書かれています。「救いの泉から水を汲む。」というこの「救い」は、ただイスラエルを苦しめてきた敵からの解放だけではありません。ここで言われていることは「神の与えてくださる祝福」を表わしています。というのは、この前の12:2にはこのように書かれているからです。「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、【主】は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」と。皆さん、お気付きになりましたか?この2節は「救い」に始まり「救い」で終わっています。そして、その後、彼らは「喜びながら救いの泉から水を汲む。」のです。
彼らは神からのすばらしい祝福をいただきます。それで喜ぶのです。敵からの救い、罪からの救いもあるでしょう。そして、それ以上に、救いによって私たち一人ひとりに(この場合はイスラエルですが)心の満足を与えてくださるのです。だから、彼らは喜んでいるのです。どんなに物があっても心が喜んでいなければ、つまり、心が満たされていなければ喜びなどありません。このイザヤ書12章が教えてくれるイスラエルの姿は、そのような救いがあるとともに、彼らの心が本当に満たされている様子です。思い出しませんか?イエスがこのように言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)と。心が渇いている様子をイエスはちゃんとご存じです。「わたしにところに来なさい。わたしのところに来る時に、あなたがたはあなたがたに必要な罪の赦しを得ることができる。ただそれだけではない。あなたの心が満たされる。」ということです。
信仰者の皆さん、どうですか?私たちクリスチャはこのように神から本当の満足を与えられた者です。この世のいかなるものをもっても得ることのできない神の満足を与えてくださった。そのことを喜びながら、このイスラエルのように「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」のです。続くイザヤ書12:4-6「:4 その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。:5 【主】をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。:6 シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」。お気付きになるでしょう?彼らは本当に神を称えています。神の為されたみわざを喜んでいます。私たち信仰者も、自分がそうなのかどうか?と心を探ってみなければいけないでしょう。神はあなたに救いを与えてくださった。罪からの赦しを与えてくださった。あなたは新しく生まれ変わった。同時に、この世の中のすべての人々が主を知らなければ絶対に得ることのない本当の満足を神は与えてくださった。だから、その祝福に関して、黙示録にもこのように記されています。7:16-17「:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」と。
千年王国になると、この時代は義なる神がすべてを治められるところであるから義に溢れるところであり、また、平和の君が治められるところであり平和に溢れるところであり、そして、その祝福をいただいた者たちが喜びながら主に仕え続けるところであると。そのようなことを私たちは知ることができます。パウロはこんなことを言っています。ローマ14:17「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」と。まさに、今まで私たちが見て来たこのような祝福に私たちは与るのです。
6.のろいからの解放
思い出してください。ちょうど、アダムが罪を犯した時のことです。神がアダムに対してこんなことを言っています。創世記3;:17「また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。」、それゆえに、この世界には憎しみや敵対心が存在するのです。人間界においても、お互いが憎しみ合ったり敵対心をもったりするゆえに、様々な犯罪が行われて来ました。でも、それは人間界だけではありません。動物の世界でも同じことが言えます。敵が存在し、そして、肉食獣は草食動物を襲って食べます。これは神の元々のご計画ではありません。のろわれたゆえなのです。ですから、この千年王国になるとそれらのものがすべて変わります。イザヤ書11:6-9「:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」、6-7節は今の自然界とは全く違うその有様が書かれています。狼と子羊はともに宿ることはないのです。
敵同士だから。しかし、千年王国になるとすべて変わると書かれていました。8節には、毒ヘビに関しても、今は噛まれると大変なことになりますが、千年王国ではそのようなことは起こらないということです。ですから、この箇所が教えることは、千年王国になると今とは全く違う自然界の様子です。殺し合いがなくなって平和の中にみなが共存するということです。
今度は自然界です。イザヤ書30:23-24に「:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。」とあります。非常に豊かな様子です。種を蒔けばそこに神が雨を降らせてくださる。今なら、農業に携わっている人たちは、すべての収穫は天候によって左右されます。しかし、この時代にはそういうことがなくなるのです。種を蒔くと神が雨を降らしてくださる。そして、栄養に溢れたものが育っていくと、そういうことです。
今度は荒野と砂漠のことが書かれています。イザヤ書35:1-2、7です。「:1 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。:2 盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは【主】の栄光、私たちの神の威光を見る。」「:7 焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり、ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。」、砂漠地帯や荒野が花が咲き乱れるようなところに変えられる様子です。また、焼けた地に水が湧いて、豊かに潤される様子です。これもすべて、人間が罪を犯したことによってすべてがのろわれてしまったけれど、そののろいが止んでそこから解放されるからです。このようなことが千年王国には約束されています。感謝なことに、私たちは実際にそこに住みます。
7.豊富な食べ物
そして、食べ物が非常に豊富な様子がみことばに記されています。特に、ヨエル書2:21-27に「:21 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。【主】が大いなることをされたからだ。:22 野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。:23 シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。:24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。:25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。:26 あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、【主】の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。:27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、【主】であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。」と書かれています。神は様々な災いに対してそれを償おうと言われます。このような祝福をもって彼らを満たすと。食べ物は溢れているし、そして、水がめも新しいぶどう酒と油で溢れている様子です。食べ物が豊かに備えられる、そのことがみことばに約束されています。
8.病からの解放
イザヤ書33:24にこのように記されています。「そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。」と。千年王国において、病によって患うことはないということです。病からの解放がこの箇所に記されています。そこに住む人たちは「私は病気だ」と言わないということです。そして、イザヤ書35:5-6「:5 そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。:6 そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」、ありとあらゆる病いから解放されるということです。この千年王国おいてはいかなる病も存在しないのです。ここに書かれているように、目に不自由がある人たち、耳が不自由な人たちはそのことに煩わされることがないのです。それがこの千年王国です。
9.長寿
最後に、この患難時代を越えて、千年王国に入った人々は大変長生きだと言います。
これまで見て来たことを整理します。患難時代を生き延びたクリスチャンたち、彼らは今の私たちと同じような肉体をもって千年王国に入って来ます。そして、千年の間、彼らは死ぬことはないのでしょうか?どうなってしまうのでしょう?実は、そのことについて聖書は詳しい説明を与えていません。ただ一箇所だけ、この死に関してあるヒントを与えてくれています。イザヤ書65:20です。千年王国における死についてのことが書かれています。「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。」、千年王国において、肉体を持って入って来た人たち、彼らはたくさんの子どもを産みます。その子どもたちの寿命も今よりはるかに延びるようです。なぜなら、「百歳で死ぬ者は若かったとされ、」とあるからです。今なら「大変な長寿を全うした」と言われるでしょう。でも、千年王国になると、百歳で亡くなったら「早死ですね」と言われるというのです。
ですから、確かに、今よりも長寿の時代になると教えています。しかも、百歳にならないで死ぬ者がいるのです。「百歳にならないで死ぬ者は、…」と書かれているからです。それは「…のろわれた者とされる。」とあって、のろわれた者たちだけが早く死ぬということです。では、「のろわれた者」とはどのような人なのか?これは栄光のからだをもっている人たちではありません。その人たちはのろわれるようなことをしないからです。これは、肉体を持って千年王国に入って、そこで産まれた子どもたちのことです。大変な数の子どもたちが産まれます。その子どもたちの中に死を経験する者たちがいるのです。なぜ、その子どもたちが死ぬのか?のろわれた者たちだからです。
千年王国の間に産まれた子どもたちも、今の私たちと同じように、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われます。千年王国に産まれた子どもたちも同じように、救いに与ることが必要なのです。でも、多くの人たちはその救いを拒んで罪の中を歩み続けるのです。神に逆らい続けるのです。その結果、彼らは死を経験するのです。なぜなら、神の前にのろわれた者、神に逆らい続ける者たちだからです。ですから、千年王国の中で生まれた子どもたちの中で、神の救いを拒み続け、そして、罪を犯し続ける者たちに対して、神はこの様なさばきを下されるのです。それゆえに。彼らは死を経験するということです。
では、罪を犯さなかった人たちは何年生きるのか?そのことは残念ながらここには記されていません。ダラス神学校の学長だったジョン・ワルブード先生は「恐らく、千年の間に死ぬであろう。ただ、そのことに関して、聖書的な根拠はない。」と言っています。つまり、聖書はそのことを教えていないと言うことです。ですから、私たちはここで止めておくべきです。分からないから…。ただ言えることは、千年の間に信仰をもって千年王国に入る人たち、彼らがどうなるのかは分かりませんが、もし、彼らが肉体的な死を迎えたとします。千年の終わりになると彼らの肉体はよみがえって、そして、私たちと同じように新天新地に入って行きます。もし、彼らが死を経験しなかったとするなら、彼らは千年の終わりに変えられて栄光のからだをいただいて、私たちと同じように新天新地に入って行きます。その間に産まれた子どもたちもいます。彼らがもし救いに与ってそして死を迎えたとしたら、彼らは最後によみがえって新天新地に入ります。救いに与った子どもたちがそのまま生きたとしたら、彼らはそこで栄光のからだをもらって新天新地に入って、私たちといっしょに主とともに永遠を過ごすのです。
結論 :
今日、私たちはこの千年王国とはどのような時代なのかを見て来ました。この箇所が私たちに教えてくれていること、少なくとも、その中の一つは「人間の罪深さ」です。思い出してください。この千年王国というのは、私たちを惑わすサタンの働きは全くないのです。しかも、主イエス・キリストご自身が義と平和でもってこの世界を治めておられるのです。こんな理想的な世界に住むことができたら、救いを拒む人などだれもいないと思ってしまいます。理想的です。イエスがおられて、イエスが治めておられる。そして、私たち人間を惑わすサタンも全く働けないでいる。でも、現実は、たくさんの未信者たちが最後にサタンと結託して神に戦いを挑もうとするわけです。
つまり、皆さん、千年王国であろうと今の時代であろうと、主イエス・キリストの救いを拒む人々というのは、拒みたいから救いを拒むのです。どんなにすばらしい環境下にいても、イエス・キリストの救いを信じたくないと思っている人々は信じないのです。私たちが考えることは、もう少しすばらしい環境であれば…、例えば、もっとクリスチャンが多いところだったら信じる人が増えるかもしれないとか、いろんな条件を考えるのですが、でも、人間というのはそのように上手くいきません。信じたくない者はどんなに環境が変わっても信じないのです。そのことをここで教えてくれているのです。こんなに理想的な世界になっても、大変多くの人たちが救い主を信じないでいるのです。
人間とはそれほど罪深いのです。人間は私たちの創造主なる方、唯一の救い主なる方に心を開こうとしない。だから、もし、この中でイエス・キリストを信じていない方がおられるなら、あなたがイエス・キリストを拒んでいるのは、だれかのせいではないのです。サタンの惑わしの結果ではないのです。あなたがイエスを信じたくないから信じなのです。イエスの救いを拒み続けているのはあなた自身の意志なのです。自分には必要ないとしているから、その救いを拒み続けているのです。それをだれかのせいにすることはできないのです。このようなすばらしい環境でも、信じたくない人は信じない。だから、あなたはそのことを覚えなければいけない。だれのせいにすることもできない。あなたの誤ったその愚かな選択があなたを永遠の滅びへと導くのです。その責任はあなたにあります。
だから、救いの機会がある時に救いを求めて出て来ることです。心からの悔い改めをもって、主の前に救いを求めて出て来ることです。そのときに主はあなたにそれを与えてくださる。でも、皆さんもよくご存じのように、その恵みの時がいつまであるのか私たちには分かりません。もう、さばきの日が近いのです。だから、そのチャンスが与えられた時に今日救いに与ることです。そのことを心からお勧めします。
信仰者の皆さん、こんなにすばらしい約束を主は私たちにくださった。今、私たちは罪が赦されて神の子どもとされて、神とともに歩むことができるすばらしい祝福に与っています。将来を見るなら、すばらしい約束があります。疑う余地のない約束です。だからこそ!今、しっかり生きることが必要なのです。なぜなら、神はあなたを今この地上に置いてくださっています。こんなすばらしい神がおられることを伝えるために、こんなすばらしい救いがあることを伝えるために、神はそうしてイスラエルを用いて来られた。教会を用いて来られています。神はあなたを用いてそのメッセージを人々に伝えるようにとしておられます。
ですから、信仰者の皆さん、与えられた務めをしっかり覚えて、出て行ってこのメッセージを語り続けることです。さばきがあることを教えなければいけない。そして同時に、救いがあることを伝えなければいけないのです。これこそが、人間が聞かなければいけないメッセージです。あなたの愛する者が、友人が聞かなければいけないメッセージです、そのメッセージを神はあなたや私に託してくださった。しっかり語り続けていくことです。その思いをもってこの一週間歩んでください。
《考えましょう》
1.第一の復活に与る者は祝された者である理由を挙げてください。
2.千年王国における祝福を挙げてください。
3.罪人が主の救いを受け入れない理由を挙げてください。
4.あなたは今日、みことばから何を学びましたか?
主から教えられたことを信仰の友と分かち合ってください。
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