Messenger: 近藤修司
Passage: 黙示録19:14-21
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前回、19:11からヨハネが見た驚くべき光景を見ました。いったい、それは何のことか?開かれた天から白い馬が下って来ると。ヨハネが見たのは、天が開かれてそこから白い馬に乗った方がおいでになること、それは地上再臨のことだと見て来ました。そして、11-13節まで、その白い馬に乗って来られる救い主がどのようなお方なのか、八つのことをヨハネは私たちに教えてくれました。その上で、この地上再臨について、すばらしい真理をヨハネは私たちに明らかにしてくれます。今日見ていくのは、19:14からです。
A.再臨の主 11-13節
B.再臨の主と従者たち 14節
主イエス・キリストが地上に再臨なさるときにおひとりで来られるのではありません。それに従う者たちがいます。イエス・キリストともにこの地上に帰って来る者たちがいるのです。いったい、それはだれか?みことばが明らかにしています。
1.花嫁たち 7、8節
14節をご覧ください。「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」、まず、皆さんに覚えていただきたい光景は、白い馬に乗っておられる方とともに地上に帰って来る者たちがいること、彼らはみな聖い者たちです。これまでに見て来た19:7-8には「花嫁」のことが記されていました。キリストの花嫁、教会のことです。教会と言っても建物のことではありません。世界にただ一つしか存在しない教会、イエス・キリストを救い主と信じた者たち、神の恵みによって救われた者たちだけが属する世界で一つの教会です。その教会を花嫁と呼びます。花婿なるキリストが花嫁を迎えに来てくださる、そのときが来ると、それは空中再臨のことでした。空中で、この新約の時代に救われた者たちはキリストにお会いするのです。
ですから、まず、主イエス・キリストが地上に帰って来られるときに、彼とともに地上に再臨するメンバーは救いに与っていた新約のクリスチャンたち、キリストの教会に属するクリスチャンたちです。このことはもうすでに見て来ました。
2.患難時代のクリスチャンたち
このことももう黙示録7:9で見ました。そこにはこのように書かれていました。「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。」、これはいったいだれのことか?空中再臨が起こった後、そのときは地上にクリスチャンは一人も存在しません。そして、患難時代が始まるのですが、あわれみ深い神は患難時代においても救いを信じる者たちを起こされるということでした。14万4千人のユダヤ人、二人の証人を神は使われます。彼らの証を通して信仰に至ったユダヤ人、異邦人がキリストの救いを伝え続けるのです。ですから、大変な数の人たちが救いに与る、そのことが7:9に記されていました。患難時代に救われた者たち、しかも、その中でも信仰ゆえに殉教したクリスチャンたちがイエスとともに地上に帰って来るのです。
3.旧約時代の信者たち
彼らがこの祝福に与ります。実は、このことは預言者ダニエルが教えています。ダニエル書12:1-2をご覧ください。その前に背景を説明します。11:36-45に記されているのは患難時代のことです。「:36 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。:37 彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。:38 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。:39 彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。:40 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。:41 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。:42 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。:43 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。:44 しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くのものを絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。:45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。」、イスラエルのことが大変気になっているダニエルに神はメッセージを与えるのです。
そのメッセージは12:1、2「:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」、天使ミカエルが大変な苦しみの中にいるイスラエルを救われるということです。大変な苦しみとは患難時代のことを指しています。そのときに、このイスラエルが守られるということです。その後、「:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。…」、つまり、大変な患難があってその後に神がミカエルを使ってイスラエルを守られる。そして、その後に眠っていた者たちのよみがえりがあると言うのです。「地のちりの中に眠っている者」とは肉体的に死んでいる者で、「多くの者が目をさます。」よみがえることです。「ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」、みなよみがえりますが、ある者は祝福に、ある者はのろいに至るということです。この人たちはいったいだれなのか?旧約の人たちです。
主イエス・キリストが患難時代の終わりに帰って来られるときに、旧約の人たちがよみがえり、救いに与っていた者たちは祝福の中に招かれ、そうでない者たちは永遠ののろいに至ります。そのことについてはまた追ってみことばを見ていきます。ヨブ記19:25、26には「:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。:26 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。」と書かれています。
主イエス・キリストが帰って来られるときに、このようなことが起こる。まず最初に、教会時代のクリスチャンたち、主イエスと空中でお会いしたクリスチャンたちがイエスが地上に帰って来る時に、イエスとともに地上に再臨し、患難時代を通して殉教した多くのクリスチャンたちがこの祝福に与り、旧約の時代に信仰に至っていた者たちもこの祝福に与ります。このように、すでに三つのグループを見て来ましたが、もう一つのグループがあります。
4.聖い天使たち
マタイの福音書に記されているこのようなイエスのことばを皆さんも思い出されるでしょう。マタイ25:31「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。」、「すべての御使いたちを伴って」とあり、天使たちとともに再臨されるということです。「人の子はその栄光の位に着きます。」と、主イエスが地上に帰って来られた後、彼は王国を築かれ、王としてすべてを治められるのです。ですから、地上再臨のときに、罪を犯したことのない聖い天使たちが主イエスに同行するということ、そのことがみことばによって教えられています。このすばらしい祝福のときを、このような人々がともに祝うことができるのです。
C.再臨の主によるみわざ 15-16節
主がこの地上に戻って来られた後、いったい、何が起こるのか?そのことが15、16節に記されています。「:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
1.主によるさばき 15a節
15節の初めに「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」とあります。この「鋭い剣」は「諸国の民を打つため」のものであるということが分かります。そのための武器と言えます。では、その武器をもっている人がだれか?ここから二つのことに気付きます。
1) 主だけによるさばき
「この方の口からは」とあり、この方しか持っていないことに気付かなければいけません。だれのことを言っているのかは文脈を見ると明らかです。「白い馬に乗って来られる方」、イエス・キリストのことです。ですから、この箇所が教えていることは、主イエス・キリストだけがさばきを行う権利をもっている、その力を持っているということです。主イエス・キリストはだれの手を借りることも、だれの助けも必要としません。ご自身がご自身の持っておられること、ご自身がお決めになったことを為すことができるのです。パウロはそのことについてⅡテサロニケ2:8でこのように言っています。「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。」と。患難時代の反キリストのことです。主イエス・キリストが帰って来られるとき、どんなに多くの敵がイエスに逆らおうと、一瞬のうちに彼らを滅ぼしてしまうということです。まさに、それが起こるとこの黙示録に記されているのです。
2)主のおことばによるさばき
もう一度見てください。「この方の口から…鋭い剣が出ていた。」と書かれています。「剣」ということばは「ロムファイア」というギリシャ語を使っていますが、このことばについてダラス神学校の元学長であったワルボード師はこのように説明しています。「剣ということばは、トラキヤ人(5000年以上前の絢爛たる黄金文明を築きながら文字を持たなかったなぞの民族と呼ばれている。古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいたと言われ、NHKでも一度この民族の特集を放映したことがある)の長い剣、あるいは、大部分の剣よりも異常に大きく長い剣を意味している。同じことばが、ときにはジャバリン、すなわち、投げやりとして用いる非常に軽くて長い剣を指すものとして用いられている。
ここでは、このことばはキリストが諸国の民を打ち、ご自身の絶対的支配を確立するために用いる戦いの鋭い武具を表すものとして、象徴的に用いられている。」と。つまり、この箇所が私たちに教えていることは、主は逆らう諸国の民をさばかれて、ご自身の絶対的支配を確立される、まさに、敵をすべて滅ぼしてそこにご自分の王国を築かれる、そのことを象徴的に表しているということです。ですから、主イエス・キリストが帰って来られるときに、そのようにして彼は神に逆らうすべての者たちを滅ぼされるのです。
確かに、ここに「この方の口から…鋭い剣が出ていた。」と書かれています。主はことばによって神の敵を滅ばされるのです。主が彼らを滅ばされるときに用いられるのは主のことばです。ジョン・マッカーサー先生は「これはキリストのおことばの致命的な力を象徴している」と説明しています。つまり、こういうことです。神と呼ぶにふさわしいお方はどんなお方か?皆さん、思い出してください。この方はご自分のことばをもってこの世界をお造りになった方です。それだけの力をもっておられる方です。その方はご自分のことばをもって、どんなに敵が多くて強靭でも、一瞬のうちに彼らを滅ぼす力をもっておられる、この方が神です。この方が神と呼ぶにふさわしいお方です。
ヨハネが見たこの光景、彼がそれを私たちに一生懸命知らしめようとしていますが、この「白い馬に乗って来られるお方」はそれだけの力をもっておられる方、彼の口から出る剣、彼のことばによっていかなる敵をも滅ぼされる、そのようなお方です。イザヤがこんなことを言っています。イザヤ書11:4「正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。」と。私たちが気付かなければいけないことは、この方はかつての偉人ではありません。この方は人間が作った像でもありません。この方はこの世界をそのおことばをもって造られた偉大な神です。そのことがここで改めて明らかにされるのです。主はおことばをもってご自分の敵を一掃なさると。
2.主のさばきの象徴 15b節
また、このさばきに関して、15節の後半に二つの象徴が記されています。「この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。」と、これが一つ目です。もう一つは「この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」です。どちらも明らかにしているのは「神がさばきを為される」ということです。
1) 主は「鉄の杖をもって彼らを牧される」
これは旧約聖書の詩篇2:9に書かれています。「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」、また、すでに見ましたが、黙示録2:27にも「彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。」と書かれています。
こういうことです。この方は鉄の杖を持っておられ、それをもって土の器を簡単に壊すということです。神がいとも簡単にさばきを下されるということです。というのは、この「土の器」とは「神に逆らう個人、また、国々」を指していたからです。それを神は完全にさばかれるということを教えるのです。この方はご自分の言われたことを必ず実現なさる方です。
恐らく、皆さんもこうして黙示録を学んで、特に、神のさばきを見るほどに、いかに人間の力が神の前では無いに等しいかに気付いておられるでしょう。どんな兵器を使っても神に勝利することなど不可能です。そのことが繰り返して出て来ます。どれだけ神が力を持っておられるのか?そのことを明らかにします。神は約束されたように、この地上に帰って来られ、悪をすべてさばかれ、ご自分の王国を築かれるのです。それを妨げるものはどこにも存在していません。なぜなら、この方が神だからです。この方が絶対者だからです。
2)この方は「万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる」
ここで使われているイメージは「ワイン作り」です。ぶどうの実を足で踏んで汁を絞り出していく、その光景です。黙示録14:8、10で見た通りです。「:8 また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」「:10 そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。」、イザヤ書63:1-6には、さばきについて「酒ぶねを踏む者」と表現しています。「:1 「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」:2 「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」:3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼ら
を踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふりかかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。:4 わたしの心のうちに復讐の日があり、わたしの贖いの年が来たからだ。:5 わたしは見回したが、だれも助ける者はなく、いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。そこで、わたしの腕で救いをもたらし、わたしの憤りを、わたしのささえとした。:6 わたしは、怒って国々の民を踏みつけ、憤って彼らを踏みつぶし、彼らの血のしたたりを地に流した。」、
彼らはぶどうを踏み付けることによって出て来る汁を集めたのです。それは神が為さるさばきの象徴として表されています。6節に言われていることは、神が必ず罪に対して悪に対してさばきを下されるということです。そのことを改めてここで私たちに教えるのです。
3.主のさばきの権威 16節
主にはさばきを行う権威があることが16節に書かれています。「その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」と。いったい、そのようなさばきをどうしてこの方が行うことができるのか?この方にはその権利、権威があるからです。この方は「王の王であられ、主の主であられるお方だから」です。神々の中の神、唯一真の神です。すべてのものたちが膝まづいて崇めるべきお方です。そのような存在だということをこのみことばは明らかにするのです。
ここに「ももにも…名が書かれていた。」とありますが、ももに名が記されていてどうしてそれが見えるのか?という疑問が出て来ませんか?着物ならどこからでも見えます。バークレー師はこのことを「もも」について「何が本当であるかは定めがたい」としながらも次のように説明します。「けれども、この名は皆の目に付きやすいところに書いてあったのだから、恐らく、それは軍将キリストの上着の裾に書かれていて、それが白い馬に乗るキリストのももの辺りに来ていたものであろう。」と。
勝利者であるイエス・キリストが羽織っていた上着のちょうど裾あたりに「王の王、主の主」と記されていて、彼が馬にまたがったときに、それが彼のももの辺りに来たというのです。いずれにせよ、この方にはさばきを下すその資格があること、権威があることを明らかにしているのです。この方はすべての創造主であり、真の神であるゆえに、しかも、聖く正しい神であるゆえに、言われていたように、すべての罪を正しくおさばきになるというのです。そのことによって、ご自分が真の王であられること、さばきの権威をもっておられる至高の支配者であることを明らかにされるのです。
主イエス・キリストがこの地上に来られた時、彼は私たちをその罪から救うために来られました。一人の赤子として生まれ、自ら進んで十字架に進んで行かれた。そして、その十字架の上であなたの贖いを成し遂げて、死後、三日目にその死からよみがえって来ることによって、この方が言われていたことが事実であり、確かに、この方だけが私たちのすべての罪を赦すことのできる救い主であることを明らかにされた。しかし、その主が天に凱旋された後、この地上に再び帰って来られるときには、救い主としてではなく、さばき主として来られるのです。王の王として帰って来られるのです。ご自分の王国を築かれるのです。ご自分がいったいだれであったのか?そのことを人々に明らかにされるのです。その時が来るということをこのみことばは私たちに明らかにしています。私たちの主が、私たちの王が帰って来られるのです。
D.再臨の主による勝利 17-21節
再臨のときの様子が17節から終わりまで記されています。地上再臨に続く出来事です。
1.御使いのメッセージ 17-18節
17節「また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。」、御使いが語るメッセージをヨハネは聞くのです。太陽の光の中に御使いがいる、私たちから見ると逆光のように、まぶしい太陽を見上げたときにそこに御使いがいると。恐らく、彼自身も輝いていたのでしょう。なぜなら、神の大切な使命を帯びて彼は天空にいるからです。そこで「彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、」、「中天」とは鳥が飛んでいるところです。そして、御使いはその鳥たちに語っている、その様子がここに書かれているのです。どのようなメッセージだったのか?「さあ、神の大宴会に集まり、」と神の大宴会が催されるからそこに集まるようにというメッセージです。
何のためにこのメッセージが語られ、彼らが集められようとしているのか?18節「王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」、ここに書かれているリストは、神によってさばかれた人たちのリストです。これはいくさに出て行くような格好です。神に逆らって神に戦いを挑んで、そして、神によってさばかれた者たちのことです。こういう人たちのことが記されていますが、神のさばきは公平公正であってえこひいきは決してないということを言っているのです。どんな人であっても、神に逆らい続けている人には神の正しいさばきが為されるのです。正しいことしかできないのがこの神です。ここにはあらゆる人たちが書かれています。彼らの行った罪にふさわしいさばきを神はお与えになるということです。
実は、こうして鳥たちに呼び掛けてさばかれた者たちの「肉を食べよ」というメッセージはここに初め
て出て来たわけではなく旧約聖書に書かれています。たとえば、エゼキエル書39:17-20にこのように記されています。「:17 神である主はこう仰せられる。人の子よ。あらゆる種類の鳥と、あらゆる野の獣に言え。集まって来い。わたしがおまえたちのために切り殺した者、イスラエルの山々の上にある多くの切り殺された者に、四方から集まって来い。おまえたちはその肉を食べ、その血を飲め。:18 勇士たちの肉を食べ、国の君主たちの血を飲め。雄羊、子羊、雄やぎ、雄牛、すべてバシャンの肥えたものをそうせよ。:19 わたしがおまえたちのために切り殺したものの脂肪を飽きるほど食べ、その血を酔うほど飲むがよい。:20 おまえたちはわたしの食卓で、馬や、騎手や、勇士や、すべての戦士に食べ飽きる。──神である主の御告げ──」。
ですから、こうして旧約聖書に預言されていたことがヨハネの前でまさに起こっているのです。神の正しい審判がこの世界に下っているのです。ヨハネが見ていたことは、この世の支配者である獣と、地上の王たちがいっしょになって軍勢を集め、キリストとその軍勢に戦いを挑んでいる姿です。「獣」はすでに13章で学んだように「反キリスト」のことです。「王たち」とは、この反キリストが世界を治めたその帝国を10人の王たちに分割して彼らがそこを治めます。すでに見ました。彼らは挙ってこの戦いに参加して来ます。そして、神に敵対したすべての者たちがここで滅ぼされてしまうのです。
2.主の勝利 19-21節
1)主に戦いを挑むもの 19節
「また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。」、今見たように、反キリストはありとあらゆるものたちを集めて神に対して戦いを挑もうとするのです。恐らく、大変な数のものたちが集まるのでしょう。もちろん、今のこの時代から考えると、様々な最新の武器、兵器を持って来るでしょう。彼らは神と戦いを交えるために、自分たちが持っているあらゆるものを持って戦いに出て来ます。
2)主の勝利 20-21節
20節は「すると、」ということばで始まります。
(1)獣とにせ預言者に対する勝利
「獣は捕らえられた。」とあります。非常に短いあっけない最後です。人間が考えることは、これだけの人間がいたら、これだけの武器があれば必ず勝利できる…です。でも、彼らが挙って神に立ち向かったときに、一瞬のうちに神は彼らを捕らえてしまいます。「獣は捕らえられた。」とあります。「獣」だけではありません。「また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。」と書かれています。反キリストも、彼に仕えて人々を惑わして来たにせ預言者も同じように捕らえられたのです。
皆さんにぜひ覚えていただきたいこと、こうして最後の戦いが行われようとしたのです。神は一瞬のうちに反キリストをにせ預言者を捕らえてしまいます。戦いなど存在しないのです。戦いの後どうなるでしょう?「そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。」と書かれています。「硫黄の燃えている火の池」とはどこのことでしょう?これは地獄を指しています。「火の池」ということばはここに初めて出て来ます。ですから、この箇所が私たちに明らかにしているのは地獄のことです。この地獄に最初に投げ込まれるのはだれか?サタンではありません。「このふたりは、」と書かれています。これは反キリストとにせ預言者のことです。彼らが最初に地獄に投げ入れられるのです。
この出来事よりも前に、神の敵は山ほどいました。彼らは地獄に行ったのか?行っていません。彼らが行ったのは、最終的な審判を受ける待合室のようなところ、「ハデス」です。そこも大変な苦しみの場所です。あのラザロと金持ちの話の中の金持ちが行ったところです。地獄と言われるところ、そこはサタンとその使いたちのために備えられたということを、イエスはマタイ25章で話しておられます。
「火の池」である地獄こそ、サタンとその使いのために備えられたところです。マタイ25:41「それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。』」、これが地獄のことです。
ですから、もともとはサタンとサタンに従う悪霊たちに対して地獄が備えられたのです。そして、多くの人たちが神ではなく悪魔に従い続けるゆえに、彼らも同じように、地獄で永遠を過ごすのです。その地獄に最初に投げ入れられたのが反キリストとにせ預言者です。そのことを20節のみことばが私たちに教えてくれます。
同時に、この地獄に関して気付いていただきたいことは、彼らは地獄に行った後どうなるのか?ということです。ある人たちは「地獄に行ってそれで終わり、消えてしまう」と言います。でも、この聖書の箇所を見ると、そうではなく、彼らはそこにあって死ぬことがなく永遠に苦しみを受け続けるのです。というのは、みことばには繰り返して「うじは死なない」と記されているところがあります。たとえば、イザヤ書66:24「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」、火が燃えているところでそのうじは死なないというのです。マルコ9:48にも書かれています。「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」と。
ですから、教えていることは何か?地獄とはそこに入ったものたちはそこで死ぬことがなくそこで永遠に過ごすということです。救いに与った者たちは栄光のからだをいただきます。栄光のからだをいただいた者たちは神とともに永遠を生きます。でも、救いに与っていない者たち、神の敵たちは究極的に地獄に入ります。そこで滅びることのない永遠に生きるからだをもって地獄で永遠に苦しみ続けるのです。実は、イエスがこんなことばを言われたことを思い出されるでしょう。「泣いて歯ぎしりする」ということばです。マタイ13:42「火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」。
「泣く」とは慰められることがそこにはないということです。地獄では、だれかが慰めてくれたり、神があわれみを示してくれたりして、救いが与えられるのか?いいえ、答えはゼロです。地獄に至った人に神のあわれみはありません。だから、泣くのです。そこは絶望の場所だからです。「歯ぎしりする」とは苦しみです。苦しみが終わることがないのです。ですから、「このふたり」に関して言うなら、彼らは生きたまま地獄に投げ入れられ、この後に起こる千年王国も、永遠に苦しみ続けるということです。
これまでのことを整理します。このふたりは生きたまま地獄に入れられました。でも、その前に存在していた多くの神の敵はハデスに入れられると言いました。彼らはその苦しみのところにあって最後の審判を待つのです。それは私たちは20章で学びます。千年王国の終わりに、神に逆らい続けて来たものたちはみなよみがえらされて神の前でさばきを受け、その後で「火の池」、地獄に入れられるのです。その最後の審判のときまで彼らは苦しみ続けるのですが、その後に待っているのは神の最後の審判であり、それによって救いに与るものなどいません。一人一人が自分の罪を明らかにされて、自分は本当に地獄がふさわしいことを彼らもしっかり認識して、永遠に地獄で過ごすのです。
ジョン・ワルブード師は「火の池」についてこのように言っています。「この時よりも前に死んだ、信じなかった者は、ハデスに投げ入れられて苦しみを受けるが、火の池に投げ入れられるのではない。火の池は、永遠のいのちを受けるにふさわしくないと究極的に判断される者のためにとって置かれるのある。」と。最終的に何が明らかにされるのか?永遠のいのちにふさわしいかどうかが明らかにされるのです。永遠の祝福にふさわしいかどうかが明らかにされるのです。天国にふさわしいかどうかが明らかにされるのです。信仰者の皆さん、私たちは生まれながらにだれひとりとして例外なく天国にふさわしい者はいません。みな地獄にふさわしいのです。でも、神がそこから私たちを救い出してくださってこの祝福の中に入れてくださった。今なら、まだ恵みはあるのです。今なら、まだあわれみはあるのです。どんな罪人でも神の前に出て行くときに神の赦しがあります。救いがあります。でも、地獄に行ってからではその救いはないのです。
だから、私たちは生きているこのときに、この福音を人々に伝えようとするのです。彼らが地獄に行ってからではどんなに私たちが祈ろうと、どんなに願おうと彼らに救いはないからです。今なのです。そのチャンスがあるのは…。ですから、このふたりよりも前に存在した敵は、彼らが肉体的な死を迎えたときにハデスに行き、最後の審判のときを待ちます。このふたりのボスである悪魔はどうなるのか?悪魔はこのときにはまだ彼らとともに地獄に送られることはありません。千年王国の後にそれがやって来ます。先に話した「大きな白い御座」のさばきの後、神に逆らった者たち、そして、サタンも同じように永遠の地獄へと送られていきます。
2)獣の信者たちに対する勝利 21節
21節に「残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」とあります。どういう人たちのことか?私たちが今まで見て来たのは、最終的な戦い、ハルマゲドンの戦いがあります。神の敵がみな集まって来ます。そして、みな挙って神に敵対し神に戦いを挑もうとします。しかし、神は一瞬のうちに反キリストとにせ預言者を捕らえてしまって、人々は神のさばきを受けそこで殺されてしまいます。でも、21節には「残りの者たちも、」と書かれています。これはハルマゲドンの戦いで死を免れた者たちです。もしかすると、彼らはその戦いに参加していなかったのかもしれません。最終的な戦いの後、まだ生き残っている神の敵がいるのです。彼らはどうなってしまうのか?さばきを受けるのです。
このさばきのことをイエスは話されましたが、皆さんは憶えておられますか?マタイ25:31から書かれているさばきです。「羊と山羊のさばき」です。イエスがそこで話されたさばきがまさに最後に起こる、この21節が教えているのがそのさばきなのです。マタイ25:31-46「:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
これがイエスが地上に帰って来られるときに起こる出来事です。信仰者の皆さんはこのことをしっかりと覚えなければなりません。つまり、「備えなさい」ということです。そのメッセージを主は何度も繰り返して来られた。クリスチャンの皆さん、この日を無駄にしてはいけない。主にお会いする備えをもってこの日を過ごしなさいと。また、まだイエスを信じていない皆さん、あなたへのメッセージは「悔い改めなさい」です。罪を悔い改めて主が備えてくださったこの完全な救いを心から感謝していただくことです。救われることです。それが世の終わりに臨んでいる私たちに対する真の神からのメッセージです。どうぞ、そのメッセージに耳を傾けて、それに従う者になってください。
《考えましょう》
1. 主イエスがこの地上に再臨されるときに伴われる人たちを説明してください。
2. 「火の燃える池」について説明してください。それが「ハデス」とどのように違うのかを説明してください。
3. 患難時代の始まりから地上再臨までの出来事を記してください。
4. 主はあなたに何を教えてくださいましたか?教えられたことを信仰の友と分かち合ってください。
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