Messenger: 近藤修司
Passage: 黙示録18:1-24
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黙示録17章と18章はバビロンに対する神のさばきが記されていると、そのことを私たちは見て来ました。18章1節から、バビロンに対する神のさばきの宣告が記されていることに気づきます。
1.さばきの宣告 1-3節
18:1をご覧ください。「この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。」、「この後、」とは、ヨハネが新しい幻、新しい啓示を見たことを教えます。それがこの中に記されているのです。「もうひとりの御使いが、…天から下って」来たとあります。私たちはもう「もうひとりの」という形容詞を何度も見て来ました。この18章に書かれている天使は17章に書かれていた天使とは別の天使です。ですから、「もうひとりの」と記されているのです。天使であることに違いはありませんが、同じ天使ではないということです。
この天使が「大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。」と記されています。なぜ、この地上がその栄光で明るくなったのか?この天使は「神のみこころを行うために遣わされた天使」です。この任務を神からいただいているゆえに、彼がこの地上に降り立つときに、神の栄光によって地が明るくなったのです。大切な使命を帯びてこの天使がやって来る様子です。
この出来事は、すでに17章で見て来たように、バビロンが滅んだすぐ後に起こる出来事です。2節をご覧ください。「彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。…」とあります。「大バビロン」についても学びました。これは「すべての偽りの宗教の源」としてこのような名前が付けられたのです。このバビロンは様々な宗教を用いて全世界に影響を及ぼしていたのです。それらを用いてすべての目がこの反キリストに向くようにと、そのような働きをしていたのです。
ですから、17章のさばきでバビロンという町自体がなくなってしまったということではなく、見て来たように、このバビロンが全世界にもたらしていた宗教的な影響がなくなったということです。そして、全世界に残ったものはただ一つ、反キリストを崇拝するという宗教だけです。それまでの様々な信仰の自由はすべて奪われてしまいます。そして、この悪の影響が世界中に及ぶのですが、このような影響を及ぼしていたバビロンが滅びるというのです。そのことを17章で見て来たのです。
さて、その宗教的な部分、それが破滅を迎えることによってこの町がどうなったのか?大変恐ろしいことが書かれています。2節の続きに「そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。」とあります。この悪霊に対して三つの呼び方が為されていることに気づきます。「悪霊の住まい」「あらゆる汚れた霊ども」「あらゆる汚れた憎むべき鳥ども」と、すべて悪霊を指しています。「巣くつ」と訳されていることばは「牢獄」のことです。また「鳥」については「鳥小屋」という意味があります。そこにいると鳥は敵から狙われることがありません。ですから、この2節のみことばが私たちに教えることは、バビロンが汚れたものしか存在しない町になるということです。汚れたものたちが安全に守られるようなところになるのです。
なぜ、このようなさばきがこの町に下るのか?その理由が3節に書かれています。「それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」、つまり、このバビロンの不品行の影響を彼らは飲んだ、受け入れたということです。バビロンがもたらす悪の影響を彼らは自ら進んで受け入れた様子、しかも、地上の王たちだけでなく、地上の商人たちのことも書かれています。 王たちがバビロンに倣って、それを模範として国をリードしただけではありません。「商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」と、商人たちはバビロンの繁栄を見たのです。そして、彼らの生活に傾倒し巨額の富を手にしていきます。ですから、皆さんに覚えていただきたいのは、このバビロンは大変に繁栄した町だということ、そして、世界がそれによって物質的に大変な繁栄を経験するということです。王たちも商人たちも、バビロンと貿易をするなら、彼らの考え方や彼らのやり方を受け入れるなら、バビロンと同じように繁栄を手にすることができるから、当然、彼らはそのようにバビロンに傾倒していくのです。それゆえに、さばきが来るということ、そのことがここに書かれているのです。
このような誤った悪い影響を全世界に及ぼしていたのがバビロンです。
2.さばきへの警告 4-5節
そのさばきの宣告をした後、4、5節には「さばきへの警告」が記されています。「:4 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。」、ヨハネはまた天からの声を聞いています。「わが民よ。」
と、この天からの声は「わが民」、すなわち、主ご自身の民に対するメッセージであるということです。天から神を愛する者たちに対するメッセージがあるのです。「わが民よ。この女から離れなさい。」と、バビロンから離れることを命じる神の声です。なぜ、その命令が下されているのか?理由がその後に二つ書かれていることに注意して見てください。
1)「その罪にあずからないため」 :
罪の影響を受けないためにということです。私たちもそのことはよく知っています。誘惑に負けないためには、その誘惑の源から離れること、距離を置くことです。そうして私たちはその誘惑に勝利することができます。ここで神が言われていることは「悪い影響を及ぼすバビロンから離れなさい」という警告です。
2)「その災害を受けないため」 :
もう一つは「罪のさばきに合わないため」、つまり、この町に下される神のさばきに巻き込まれないために、そこから離れなさいということです。「災害を受けないため」と記されていますが、これは黙示録16:17-21で、最後に神が下される七つの「鉢のさばき」を思い出してください。恐らく、それを指しているのだろうと言われます。鉢のさばきの七番目の神がもたらす最後のさばきです。なぜなら、このさばきの後、キリストが地上に帰って来られて、地上に千年の王国を築かれるからです。
5節には「バビロンがさばかれる理由」が記されています。「なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。」、「積み重なって」と書かれていますが、これは聖書の欄外注に直訳として「結び合わされて」という意味が記されています。ここで使われていることばは「接着する」という意味をもつことばです。ですから、レンガを積み重ねるように、どんどん積み上げられてまさに天まで届くような、それほど積み上げられている様子です。つまり、それほど彼らの罪は多い、大きいということです。バビロンの罪は大変多い、それゆえに、この町は神のさばきを受けることになるということです。
実は、神はこのバビロンの罪をご存じです。エレミヤが次のような預言をしています。エレミヤ書の51:9「私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ。」、神はバビロンに対するさばきの警告を与えておられます。まさに、それが起ころうとしていることを今私たちはこの黙示録の中に見るのです。パウロのことばも見てください。ローマ2:5-6「:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。:6 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。」。
3.さばきの説明 6-8節
6-8節には「さばきの説明、さばきの現実」を私たちに明らかにしています。「:6 あなたがたは、彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行いに応じて二倍にして戻しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。…」、ここには四つの動詞があります。「返し」「戻しなさい」「混ぜ合わせなさい」「与えなさい」です。
1)返し 6節
これは「支払う」という意味をもったことばが使われています。ですから、この女であるバビロンが神の民に対して行ったことへの報いです。彼らが神の民に行ったその支払いを受けるということです。バビロンが神の民にしたことと同じことを今度はバビロン自身が経験するということを言っているのです。このことばに関してレオン・モーリス師は「この『返す』とは報いという意味をもつ。復讐ではなく報酬である。自分たちが行ったことに対して当然の報いを受ける。『罪から来る報酬は死です。』と」、同じように、彼らの悪に対して当然の報いを彼らは経験するということです。神はそのようなお方です。神は常に警告を与えておられます。詩篇99:8に「われらの神、【主】。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。」とある通りです。
確かに、神は赦しを与えてくださる方です。しかし同時に、その赦しを拒んだ者たちには自分の行った罪に対してふさわしい報いを与えるお方です。私たち人間が注意しなければいけないこと、私たちが恐れなければならないことは、神の前に隠しおおせることのできる罪は一つもないということです。神は確かに赦しを備えてくださいました。イエス・キリストの十字架と復活によって完全な赦しが備えられた。でも、その赦しを拒み続けるなら、その人に残っているのは自分に一番ふさわしい報いを受けることしかありません。自分の犯してきた罪に対して当然の報いを受けるのです。新約聖書だけでなく旧約聖書を通しても、神はそのことを教えておられます。まさに、このバビロンが受けるさばきは彼らに対する報酬です。彼らが行ってきたその罪に対してふさわしい報いを受けると、それがこの「返し」ということばです。
2)戻しなさい 6節
しかも、「二倍にして戻しなさい。」と書かれています。これは、それほど彼らの罪は大きいということを表現しているのです。彼らは大変な罪を犯しているということです。同時に、ユダヤの律法の中には、盗みを働いた者に対して、その人は二倍にして償うようにという命令があります。出エジプト記22:4、7、9にそのことが書かれています。「:4 もし盗んだ物が、牛でも、ろばでも、羊でも、生きたままで彼の手の中にあるのが確かに見つかったなら、それを二倍にして償わなければならない。」「:7 金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。」「:9 すべての横領事件に際し、牛でも、ろばでも、羊でも、着物でも、どんな紛失物でも、一方が、『それは自分のものだ』と言う場合、その双方の言い分を、神の前に持ち出さなければならない。そして、神が罪に定めた者は、それを二倍にして相手に償わなければならない。」、恐らく、この意味も含まれているのでしょう。
3)混ぜ合わせなさい 6節
「彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。」とあります。これまで見て来たように、バビロンは不品行で世界の国々を惑わしたのです。黙示録14:8に「また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」と書かれています。もう説明しませんが、バビロンが大変な罪をもって世界中を惑わしたと、そのことをこの箇所は教えているのでしょう。
4)与えなさい 7節
7節に「彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。」と記されています。「自分を誇り、」と書かれています。このバビロンが自らを誇っていたと言われているのです。つまり、彼らは「神の助けなど我々には必要としない」と信じていたということです。恐らく、自分たちが築き上げたその巨額の富、これは我々が築き上げたのだと、そのように自分たちの功績を誇っていたのでしょう。ですから、そのプライドが神に対しても傲慢の罪となって現れたのです。「神など必要ない!」と、あたかも、自分たちが神であるかのように…。この「好色にふけった」とは「贅沢をする」ということです。性的なことではなく、ここでの意味は「贅沢にする」で、まさに、バビロンの人たちは贅沢の極みを過ごしていた、その様子を7節の初めに見ることができます。
そして、「彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない』と言うからです。」とあります。つまり、バビロンは「私が女王だから、私自身が何か悲しい目に会うことはない」、つまり、私たちがさばきに会うなんて、そんなことは有り得ないと言うのです。しかし、この女に対して神のさばきが下るということ、そのことは事実であり、8節を見るとその根拠が書かれていることに気づかれるでしょう。8節「それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。」、「私たちはさばかれることはない」と信じていたこのバビロンに対して、神は一瞬のうちにさばきを下されると言うのです。
自分たちを誇っていた彼ら、自分たちの力を過信していた彼ら、神が言われるのは「一瞬のうちにあなたがたを滅ぼす」です。そのことが8節に記されています。必ず、神の約束は為されます。罪に対しては必ずそれにふさわしいさばきが下ります。バビロンの傲慢の罪へのさばきです。「我々に神など必要ない、我々は安全であってこの身に何も起こることはない、何物も我々の富と成功を奪い去ることはできない」と、このように自負していた彼らに神は言われます。「さばきは来る」と。
神学者ウィリアム・バークレーはこんな説明をしています。「ギリシャ語でヒュブリスと呼ばれる罪がある。これは富、繁栄、成功から生まれるもので、神を必要とせず、神を生活から締め出す傲慢のことである。この罪に対してさばきは必ず下る。それは卑下と恥辱である。誇りは常に没落を招く。」と。
プライドの罪がいかに恐ろしいか、そのことに私たちは気づかなければいけません。バビロンはその罪のゆえにこのような神からの大変なさばきを受けることになると、そのようにみことばが教えます。
4.さばきへの嘆き 9-19節
そして、9節から19節までは、さばきが下るのですが、そのさばきを見ている多くの者たちがそれを見て嘆く様子が記されています。
1)地の王たちの嘆き 9-10節
「:9 彼女と不品行を行い、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。:10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』」、世界中の王たちがバビロンの破滅を嘆き悲しんでいる様子が記されています。なぜ、彼らがそのことを嘆いたのか?最初に話したように、この地上の王たちにとって、このバビロンは理想であり希望そのもの
だったからです。こんな町を築きたいと、だれしもがそう思ったのです。だから、彼らはバビロンに倣い、その影響を歓迎し、つまり、不品行を行い、その繁栄に与っていたのです。彼らはバビロンの滅亡を「泣き、悲しみます。」と9節に書かれています。宗教的に、また、経済的にも政治的にも中心であった、この反キリストの世界帝国の首都であったバビロンの滅亡を目の当たりにした世界の国々がそれを見て嘆き悲しむのです。その様子です。その理由はこの後詳しく出て来ます。
このバビロンの滅亡を悲しむのは王たちだけでないことが書かれています。
2)地の商人たちの嘆き 11-19節
多くの商人たちもそれを見て悲しむということが11節から書かれています。11節「また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。」、つまり、世界の国々はこのバビロンと貿易をしていたのです。バビロンが滅びると我々の商品を買ってくれない、買ってくれなければ繁栄が損なわれてしまうと、多くの商人たちは嘆き悲しんでいるのです。
これを見るだけでも、バビロンが世界経済に及ぼしていた影響力を知ることができます。一つの国が滅びることで全世界が嘆くのです。いったい、どのようなものを取引しているのか?12、13節にはそのリストが記されています。「:12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、」、高価な貴金属や宝石です。次に「麻布、紫布、絹、緋布、」、高価で上質な布です。高価であった理由は、この紫色の染料はアクキ貝、アッキ貝と言われる大型の巻貝があって、その巻貝一個からこの紫の液は一滴しか取れないと、そのようにバークレーは説明しています。それも、貝が死ぬと同時に開けないとその血管にある紫の液はすぐに乾いてしまうと言います。ですから、非常に貴重な紫の液です。それによって染められた布がどれ程高価であったか、よく分かります。次には「香木、」とあります。大変高価な木材、良い香りのする木材です。その後には器具や家具が並んでいます。「さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、:13 また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。」、高価な香料、香が書かれています。「肉桂」とは「シナモン」です。「香料」は「スパイス」のことです。このようなものが取引されていたのです。また、食料品も取引されています。
そして、「馬、車、」とありますが、これは運搬用に使う道具だろうと言われています。最後に「奴隷、また人のいのちです。」と記されています。人やいのちを売買していると取れるのですが、また、再び奴隷制度が始まるのではないか?とも思えるのですが、この箇所はそのようなことを教えていません。この「奴隷」と書かれていることばは「からだ」と訳せることばです。ですから、「からだと人のいのち」ということで、それが売買されると書かれているのです。この箇所は何を明らかにしているのか?恐らく、このようなことでしょう。これまで私たちが歴史で学んだ奴隷制度のことではありません。でも、今までも、間違いなくこれからも、どれ程多くの人たちが、たとえば、企業の奴隷になっているか?多くの人たちが、より自慢できる贅沢や快適さを得るために進んで犠牲を払っています。自分の家庭のことはどうでもいい、もっと快適な生活をするために…と。
私もよく友人から言われたのですが、アメリカのあるところに行くと大変大きな家 ―大きな家のことをアメリカではマンションと言います。私たちのマンションとは違いますが…ー 彼らはそのような家を購入して(部屋はいっぱい余っています)その支払いのために共働きに出て、子どもたちにはお金を渡しているだけ、もっとすばらしい家に住みたい、もっと贅沢をしたい、そのためにいろいろなものを犠牲にしてしまっている。それはお金、富、物質の奴隷になっていませんか?恐らく、主イエス・キリストが地上に戻って来られる前、そういう人たちが増える。その人たちがバビロンの影響によって、このような繁栄を手にするためにどんな犠牲を払っても構わないと、まさに、奴隷のように物にお金に仕える者たちです。このような様子を表しているのでしょう。
14節を見ると「また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。」とあります。確かに、人々はすばらしい繁栄を見、その一端を経験しました。でも、神は「それらのものは一瞬のうちに消えて無くなってしまう。」と言われます。15-18節には「:15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、:16 言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。:17 あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、:18 彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』」とあります。
住民は見るのです。しかも、17節には「すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、」と書かれていて、海からも見ます。なぜなら、貿易をするからです。人々はこのバビロンが滅びる様子を見ます。そして、それを見て嘆き悲しんでいる人々のことが記されています。一瞬のうちにこの世で宝としていたものは無くなってしまうのです。その様子がここに書かれています。
この様子を見ていて疑問に思えたのは、バビロンとはイラクのことではないですか?イラクには何もないのになぜこのような貿易がなされるのだろう?と不思議です。調べてみると、今年の4月にEUが出しているリポートにはこんなことが記されています。イラクは中近東において重要な貿易のパートナーである。EU(欧州連合)の中の欧州委員会は政策を執行する機関ですが、そこがこのように言うのです。しかも、このEUのためにイラクは戦略的なエネルギーパートナーとして大変重要であると。つまり、イラクという国はEUにとってもとても大切な国であり、貿易だけでなく、自分たちのエネルギーに関しても大変重要だと言うのです。ご存じでしたか?世界中の多くの国々が今イラクに投資しています。なぜなら、そこには石油があるからです。私たちはこのようなことを余り耳にしませんが、もうすでにこのようなことが行われています。いろいろなことを見ていくと、2009年からお隣の韓国も大変な投資をしました。みな、今イラクを見ています。そうすると、間違いなく、このようなことが近い将来起こって来ます。なぜなら、神がそのように言っておられるからです。バビロンと世界中が貿易を為し、バビロンが滅ばされたときに、王たちも多くの商人たちもそれを見て悲しむと…。
19節をご覧ください。「それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』」、「頭にちりをかぶって、」とはこの人たちの悲しみの表現です。しかも、「おごりによって富を得ていた」とあります。「おごり」とは「富」という意味です。「高価、贅沢」という意味です。ですから、見て来たように、このバビロンは大変繁栄していた、彼らと繋がることによって世界中の国々もその繁栄を味わうことができたのです。それが一瞬のうちに荒れ廃れてしまったのです。すべてが無くなってしまうということがこの19節に書かれています。バビロンの富を自分たちも共有していた、バビロンを通して自分たちも富を得ていたのに、それが一瞬のうちに消えてなくなってしまうのです。
未信者 :
悲しいことに、多くの人々がそのような生き方をして来ました。また、今もしています。彼らが見ているのは目先のことだけです。どうすればもっと物を、お金を手に入れることができるか?どうすればもっと贅沢に生きていけるか?どうすればもっと自分が理想とする生活ができるのか?と。本当は自分が死んでから先のことを考えなければいけない。自分自身の永遠について考えなければいけない。それが最も大切なのに、多くの人々はそんなことを考えません。詩篇49:6-9にはこのように書かれています。「:6 おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。:7 人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。:8 ──たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない──:9 人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。」、つまり、どんなに富を得たとしてもその富はあなたを救うことはできない、どんなに富を得てもその富をもって天国を得ることはできないということです。私たちは目を醒まして私たちに何が大切なのかをしっかりと見極めなければいけません。私たちは死を迎えるときが来るのです。主イエス・キリストがまだ帰って来られないとすれば、私たちはこの地上での生活を終える日が来る可能性があります。その日に対する備えができているかどうかです。同じ詩篇49:17には「人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。」と書かれています。
どんなに宝をこの地上に積んでも、人は死んだときは裸で出て行きます。なぜ、そんな虚しいもののために生きるのか?ソロモンは伝道者の書5:10でこのように言っています。「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。」と。この世の中のものが私たちに本当の満足をもたらすことなど有り得ないのです。神だけがそれをもたらしてくれます。それなのに、神に心を向けるのではなく、この世の虚しいものに心を向け、そのようなものの奴隷となって生きています。そんな人がこの中に一人もいないことを期待します。
あなたは今日死んでも間違いなく天国に行けるという、自分勝手な確信ではなく、神があなたに与えてくださっている確信があることを期待します。どんなにあなたが強く思い込んでいても、神があなたを救っておられなければ、あなたは間違いなく天ではなく地獄に行くからです。
信者 :
クリスチャンの皆さんはどうですか?どこに宝を積むのかを考えて生きていますか?神のために生きる人生は天に宝を積みます。神のために為す犠牲は犠牲ではない、それは永遠の祝福をもたらすものです。イエスが言われた通りです。マタイ6:19-20「:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」、私たちが目指しているのは天です。そこにあって私たちは永遠を過ごすのです。そのために今を生きているのです。
5.さばきへの喜び 20節
「おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのため
に、この都にさばきを宣告されたからです。」、バビロンに下されるそのさばきを喜んでいる姿です。天にいる者たちが正しいさばきが為されることに対して、喜びの歓声を上げている様子がここに書かれています。だれが喜ぶのか?「聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。」と、つまり、バビロンによって殉教した兄弟たちです。彼らに呼び掛けられているのです。「喜びなさい」と、なぜなら、主があなたがたに代わって正義を下される、その日が来たからと。
6.さばきの完了 21-24節
さばきがすべて下される様子が書かれています。21節「また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。」と、バビロンの滅亡を教えています。実は、預言者エレミヤが預言していたことです。エレミヤ書51:61-64「:61 エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンに入ったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、:62 『【主】よ。あなたはこの所について、これを滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる、と語られました』と言い、:63 この書物を読み終わったなら、それに石を結びつけて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、:64 『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいのためだ。彼らは疲れ果てる』と言いなさい。」ここまでが、エレミヤのことばである。」、黙示録18:21に「ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて…」とある通り、さばきが下されるということです。エレミヤが言ったようにこのバビロンにさばきが下る様子です。
そして、22節「立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。」、この町の繁栄を称える歌はもう聞かれないと言います。もしかすると、バビロンは芸術に親しむ人たちがたくさんいたのかもしれません。また、その後には職人たちのことが書かれています。様々な技術をもった職人たちです。「ひき臼の音も、」と書かれています。食事の準備のために粉を引いていたのです。そのような日常の生活がすべて消えてしまうということです。
そして、23節「ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。」、これまで見て来た婚礼の光景もその歓喜の声もいっさいが消えてなくなってしまうのです。神のさばきがバビロンに下るからです。
続いて、「なぜなら、」ということばがあり「おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。」 と書かれています。バビロンの商人たちは「地上の力ある者どもで、」、すなわち、権力においても影響力においても確かに彼らは力をもっていました。ところが、彼らは最も大切な神を忘れていたのです。この悪の影響が全世界に及び、すべての国々が決して神に心を開かない、そのように騙され続けていたのです。その様子がこのように23節の後半に書かれています。だから、彼らはさばかれるのです。自分たちが悪に染まるだけでなく、周りの人々も同じように悪に染まるようにと騙し続けているこのバビロンよ、ゆえに、彼らは神のさばきを受けると言うのです。
彼らの罪はそれだけではありません。「また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」と、彼らは悪を行っていただけでなく、患難時代においても多くの者たちのいのちを奪っていたのです。このような罪を犯し続けたバビロンが遂に滅ぼされ、神の正義が為されるのです。どの時代でも、多くの人々は「なぜ、こんなに悪がはびこるのか?なぜ、神はこのような悪に対して何も行わないのか?」と、そのような疑問を神に投げかけて来ました。答えが出ます。神は忘れておられません。神は必ずさばきを下すと。
パウロがアテネの町にあって人々に話したことばを皆さんは思い出されるでしょう。「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒の働き17:31)、「日を決めておられるからです。」とあります。必ず、その日が来るのです。必ず、神の正義が為される日が来るのです。神に逆らった悪がさばかれるその日が来るのです。ゆえに、まだこの中にイエスを知らない人がいるなら、あなたはその日のために備えなければなりません。救いを拒み続けるのか、救いを受けるのか?です。クリスチャンたちも備えなければいけません。主にお会いする日が来るのです。「私はその日に対する備えができているかどうか?」とそのことを自分に問いかけてみることが必要です。問いかけて、神に喜ばれる歩みを始めていくことです。そのことを心からお勧めします。
《考えましょう》
1. バビロンが滅亡した理由を挙げてください。
2. 富を愛することが危険なのはどうしてですか?
3. どうして人は神を忘れるのでしょう?その理由を挙げてください。
4. バビロンの滅亡から学ぶべきことは何でしょう?
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