神を礼拝する者は、 霊とまことによって礼拝しなければなりません。
新年明けましておめでとうございます。
新たな夢や目標をもって、この2019年をお迎えになったことでしょう。
夢や目標は人によって異なりますが、キリスト者として変わらない目標があります。
それは「主を礼拝する」という目標です。これこそが、キリスト者であるあなたが救われた目的であり、日々生かされている目標です。
「礼拝」ということばには、「神に対して栄光、誉れ、感謝を捧げる」という意味が含まれています。そうです、礼拝とは、神から何かを頂くことを期待するのではなく、すでに多くの祝福を与えてくださった神に対してキリスト者が「捧げる」ものなのです。あなたは、「罪からの救い」という、途方もなく高価な賜物を頂きました。それはあなたの努力や、功績によっては絶対に得ることの出来ないものでした。主イエスのいのちという大きな犠牲によって与えられたものでした。
またあたなたは「主と共に生きる」という祝福を頂きました。全知であり全能である主が常に共にいてくださる。何という祝福をいただいたのでしょう。もう独りで悩むことはないのです。また必ず最善をなされるお方にすべてを委ねて生きることができるのです。
そして、この地上での務めが終われば、主が備えてくださった「永遠の住まい」へと招いてくださるのです。そこであなたを愛してくださった主にお会いして、このお方を礼拝しながら永遠を過ごすのです。キリスト者は、こんなに素晴らしい祝福を与えてくださった主を褒め称え、感謝を捧げながら生きるのです。
「霊とまこと」による礼拝とは、それが「心からのもの」でなければならないこと、また「聖書の教えに基づいたもの」でなければならないことを教えています。心の伴わない形だけのものであったり、また聖書の教えではなく自分の考えによる礼拝は相応しくないものです。だから礼拝者は「私の捧げる礼拝を主は喜んでおられるだろうか」と自らの心に常に問いかける必要があります。
主への感謝に溢れ、聖書の真理に刺激され、感動した心だけが、主が求めておられる礼拝を生み出すのです。
この新しい年、与えられる一日一日を「主が喜ばれる礼拝者」として歩んで参りましょう。
この主だけが、礼拝に価するお方です。
詩篇34:1
私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
近藤修司